2026. 10. 02 (金)

車のエンジンが止まった状態、ブレーキ故障の車

政治経済部の張文基記者
政治経済部の張文基記者
友人たちと遊びに行く途中、高速道路で突然車のエンジンが止まったことがある。幸いにも路肩に車を移動できる状況だったため、路肩に停めて保険会社に連絡し、必要な措置を講じたことで大事故には至らなかった。家にある古い車を持ってきた友人は、そのまま廃車にして新しい車を買ったという。

国政運営を車の運転に例えるなら、現在の我が政府の速度は比較的速い状況である。「働く政府」を標榜する行政府と与党である共に民主党を含む範与党が180席以上を確保した立法府が力を合わせて高強度の変革に取り組んでいるからである。

検察庁が廃止され、中重大犯罪捜査庁(中数庁)・公訴庁が新設されることで、刑事司法制度が大きく変わる一連の過程を見ていると、車のエンジンが止まった経験が思い出される。新しい刑事司法制度が適切に機能しないという仮定を立てた場合、韓国という車両が停止する不幸な事態が発生するのではないかという懸念につながったからである。

もちろん、当面は慣性で進むだろうが、万が一国家の刑事司法制度が崩壊すれば「万人の万人に対する闘争」状態に陥ることは明らかである。そうなれば、韓国という車両は前進の動力を失うことになる。

したがって、国家を構成する部品の一つと見なせる刑事司法制度を変更するには、今我々が乗っている車両との整合性など多くのことを考慮しなければならない。それにもかかわらず、刑事訴訟法改正を主導した民主党議員の口から「制度が誤って設計された場合、国会が責任を負うのは当然だ」や「必要なら補完していけばよい」という発言が出てくる。

国家の刑事司法制度が崩壊し万人の万人に対する闘争状態になったとき、これに対する補完が可能なのかという疑問が消えない。補完が不可能であれば、どうやって責任を負えるのかも問いたい。事実上、巨大二大政党が主導する我が国会の現実において「責任を負う」との言葉は空虚に聞こえる。責任を負う主体がない事を進めながら「完璧に準備したので信じてほしい」ではなく「補完していけばよい」という無責任な状況を国民はどう受け止めるべきなのか。

中数庁・公訴庁体制が始まる前から、すでに警告灯は点灯していた。警察権力が過度に肥大化するという指摘は、雲をつかむような「警察改革」という言葉で覆われている。設立がわずか1日後に迫っているが、中数庁長、公訴庁長は存在しない。警察庁長も長期間代理体制が続いている。

範与党の主張通り、捜査・起訴が分離された体制がより良いかもしれない。しかし、始まる前からぎこちない新しい刑事司法制度に対する不安感は「もっと整えて完璧な法案を提出できなかったのか」という疑問につながるほかない。検察庁廃止と公訴庁・中数庁の設立が1日しか残っていないのにこの状態であれば、「看板の交換以外はきちんと準備したものはない」という国民の力の指摘に共感せざるを得ない。

高速道路でエンジンが止まったとき、一緒にいた友人の一人が「ブレーキが故障していなくてよかった」と言った。ブレーキ故障は自動車運転中に経験する最も危険な状況の一つであることに異論はないだろう。走行中の車両のブレーキ故障は、高い確率で人命事故につながるからである。

民主党は与党になって以来、手段を選ばずに望む法案を通過させてきた。政治界の内外ではこれを「立法暴走」と評価している。今回の新しい刑事司法制度を導入する過程では、民主党内部でも反対意見が公然と出てきた。それにもかかわらず、検察の補完捜査権が完全に廃止された刑事訴訟法改正案が本会議を通過した。立法府のブレーキ故障の前兆症状ではないことを願う。




* この記事はAIによって翻訳されました。
亜洲日報の記事等を無断で複製、公衆送信 、翻案、配布することは禁じられています。
기사 이미지 확대 보기
경북 포항시 경북 포항시
닫기