2026. 06. 16 (火)

[中東戦争 深読み③] 250年の米国は、なぜ5000年のペルシャを理解できなかったのか

  • ゾロアスターの炎はなぜ今も消えないのか

사진UPI·연합뉴스
[写真=UPI聯合ニュース]

イランは単なる中東の国家ではない。キュロス大王の国であり、ローマと700年にわたり対峙した国であり、シルクロードを通じて東西文明を結んだ文明国家である。しかし歴史だけでは、今日のイランを十分に説明することはできない。イランを動かしている真の力は軍事力でも石油でも核開発計画でもない。そのさらに深い場所にある精神的基盤と宗教的世界観、そして数千年にわたり蓄積された集団的記憶こそが、今日のイランを形づくっている。今回の戦争で米国は革命防衛隊の戦力を分析し、核施設の規模を調べ、ミサイルの射程や無人機(ドローン)の生産能力を計算した。

しかしイランという国家を動かしている核心は、軍事基地よりもはるかに深いところに存在していた。それはゾロアスターの炎であり、カルバラーの殉教精神であり、ホメイニ革命が残した独立への意志だった。米国は軍事力を見た。しかしイランは歴史を見ていた。米国は現在を計算した。しかしイランは文明を計算していたのである。
 
今日、世界はユダヤ教、キリスト教、イスラム教をアブラハム系宗教と呼ぶ。しかし、その精神的源流をさらにさかのぼると、ゾロアスター教という巨大な文明の源泉にたどり着く。紀元前1000年ごろ、ペルシャの地に現れたゾロアスターは、人間世界を善と悪の絶え間ない闘争として捉えた。善神アフラ・マズダと悪の勢力アンラ・マンユが対立する世界観は、後に天国と地獄、最後の審判、救済と悪魔という概念へ発展し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に少なからぬ影響を与えた。7世紀以降、イランはイスラム化されたが、ゾロアスター教が残した精神的痕跡は消え去らなかった。今日でもイラン社会には、正義と不正、善と悪、抵抗と殉教という道徳的世界観が色濃く残っている。そしてその精神は国家アイデンティティーの重要な柱となっている。
 
このゾロアスター的世界観は、イスラム教、とりわけシーア派と結び付くことでさらに強大な精神的力を生み出した。現在、世界のイスラム教徒の大多数はスンニ派だが、イランは例外である。イランはシーア派世界の中心国家であり、事実上のシーア派文明の首都とも言える。その背景には16世紀のサファヴィー朝がある。
 
当時のペルシャは、スンニ派の超大国オスマン帝国と対峙していた。独自の文明的アイデンティティーを守るため、シーア派を国教に採用したのである。その結果、イランは同じイスラム国家であるサウジアラビアとも全く異なる道を歩むことになった。言語も歴史も世界観も異なる。サウジアラビアがアラブ世界の中心だとすれば、イランはペルシャ文明の継承者である。同じイスラムという名の下にあっても、実質的には異なる文明圏と言っても過言ではない。シーア派の核心精神はカルバラーで生まれた。680年、預言者ムハンマドの孫イマーム・フサインは、圧倒的兵力を持つウマイヤ朝軍と戦い、戦死した。軍事的には敗北だった。しかしシーア派はこれを正義のための殉教として記憶している。そのため今日でもイランでは毎年アーシューラーの行事が行われ、数百万人がフサインの犠牲を追悼する。
 
これは単なる宗教行事ではない。国家のアイデンティティーを再確認する集団儀礼なのである。シーア派世界において、犠牲は敗北ではない。正義を守るための証言であり、未来世代へ受け継がれる歴史的遺産である。西側の戦略家たちが、経済制裁や軍事的圧力だけでイランを屈服させられると考えたのは、この精神構造を十分に理解していなかったからだった。実際、この半世紀の間にイランは幾度もの危機を経験した。
 
1980年に始まったイラン・イラク戦争は8年間続き、双方で100万人以上が犠牲になったとされる。戦争終結後も米国の経済制裁は続いた。国際金融網から事実上排除され、先端技術の導入も制限され、原油輸出すら自由に行えない状況が続いた。それでも体制は崩壊しなかった。むしろこうした圧力は、多くのイラン人に「われわれは外圧に屈しない」という集団的自意識を強める結果となった。西側から見れば非合理に映るかもしれない。だがイランの歴史と宗教を理解すれば、それは極めて自然な現象である。
 
1979年のイスラム革命は、この精神を現代政治へ移した決定的な出来事だった。当時のパフラヴィー朝は米国の最重要同盟国の一つであり、テヘランは中東で最も近代化された都市と評価されていた。しかし華やかな経済成長の裏側では、アイデンティティー喪失への不安が広がっていた。アヤトラ・ルーホラ・ホメイニは、その点を鋭く突いた。彼の革命は単なる宗教革命ではなかった。米国の影響力から脱しようとする独立革命であり、ペルシャ文明の誇りを取り戻そうとする民族革命だった。「われわれは米国の衛星国家ではない」という宣言は、数千年にわたり外勢と向き合ってきたペルシャの歴史的記憶を呼び覚ますものだった。革命後に誕生した革命防衛隊も、現代イランを理解する重要な鍵である。
 
西側メディアはしばしば軍事組織として説明するが、その実態ははるかに複雑だ。軍隊であると同時に情報機関であり、経済勢力であり、政治勢力でもある。建設、エネルギー、金融、通信まで幅広い影響力を持つ。彼らは単に国境を守る軍隊ではない。革命そのものを守る存在として自らを位置付けている。
 
今回の戦争でも、ミサイル運用、ドローン攻撃、情報戦、海外の親イラン勢力との連携に至るまで中核的役割を担った。米国が正規軍との戦いには慣れていても、革命防衛隊のような独特の組織に苦戦した理由はそこにある。イランの核開発も同じ文脈で理解する必要がある。西側では核兵器開発問題として語られることが多いが、イラン人にとって核技術は単なるエネルギー技術ではない。国家の誇りであり、技術主権の象徴なのである。興味深いことに、イランの核計画は革命後ではなく、親米的だったパフラヴィー朝時代に始まった。当時、米国はむしろ原子力開発を支援していた。しかし革命後、核開発は新たな意味を持つようになった。外圧の中でも独立した科学技術力を確立するという国家的意思の象徴となったのである。結局のところ、米国とイランの最大の違いは時間感覚にある。
 
米国は4年ごとの選挙を考え、次の四半期の経済指標を気にする。しかしイランは違う。ササン朝を記憶し、サファヴィー朝を記憶し、カルバラーを記憶し、ホメイニ革命を記憶している。680年の出来事が今日の政治に影響を与え、500年前の王朝が現代の国家アイデンティティーの一部となる。米国が理解できなかったのは、この長い時間の感覚だった。
 
米国は現在を見た。イランは歴史を見た。米国は軍事力を計算した。イランは文明を計算した。そして、その違いこそが今回の戦争の本質だったのである。
 
106日戦争は終わった。しかし米国には、イランという国を改めて学び直すという課題が残された。イランは単なる石油国家でも、神権国家でも、反米国家でもない。ゾロアスターの炎を記憶する国であり、カルバラーの殉教を記憶する国であり、ホメイニ革命が残した独立の意志を今も抱く国である。
 
米国は核施設を見た。イランは文明を見た。米国は制裁を計算した。イランは世代を計算した。米国は軍事力を信じた。イランは歴史と信念を信じた。そして、それこそが今回の戦争の本質だった。だが歴史は過去だけで完成するものではない。文明が生き残るためには未来を創らなければならない。戦争が終わった今、イランの前には新たな課題が横たわっている。生き残ることを超えて繁栄を築くこと。抵抗を超えて再建を実現すること。そして、その地点で韓国という国が新たな意味を持ち始める。戦後復興と新たなシルクロード、テヘラン路とAI革命、そして弘益人間の精神へとつながる、もう一つの物語が始まろうとしている。

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