2026. 05. 29 (金)

[スピリチュアル・アジア ⑤] ベーダと『天符経』、そして大倧教―AI時代に再び出会う韓民族の「天」の精神

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[イメージ=チャットGPT生成]

21世紀の人類は、再び最も古い問いの前に立っている。人工知能(AI)は人間の言語を学び、ロボットは人間の労働を代替し、アルゴリズムは人間の判断領域にまで踏み込もうとしている。しかし、技術が発展すればするほど、人間はかえってより根源的な問いへと向かう。
 
私たちは何者なのか。
どこから来たのか。
何のために生きるのか。
そして、どこへ向かうのか。
 
これまで4回にわたり、私たちはインドのヒンドゥー教を通じて、アジア精神文化の巨大な源流をたどってきた。ヴェーダは宇宙の根源を語り、ウパニシャッドは人間の内なる神性を探究し、『バガヴァッド・ギーター』は人生の中で真理を実践する道を示した。
 
では、韓民族はこの問いにどのような答えを示してきたのだろうか。韓民族もまた、数千年にわたり同じ問いを問い続けてきた。その答えは、『天符経(チョンブギョン)』『三一神誥(サミルシンゴ)』『参佺戒経(チャムジョンゲギョン)』へと受け継がれる固有の精神文化の中に息づいている。そして近代に入り、この精神を再び呼び覚ました宗教が大倧教(テジョンギョ)であった。
 
今日、大倧教はしばしば一つの宗教として理解される。しかし、その本質は単なる宗教団体ではない。韓民族の始原の精神を復興しようとした文化運動であり、民族精神運動でもあった。
 
1909年、愛国志士の羅喆(ナ・チョル)は檀君教を再興し、その名を大倧教へと改めた。当時の大韓帝国は国権喪失の瀬戸際にあり、日本帝国主義は韓民族の歴史と精神そのものを消し去ろうとしていた。羅喆は、銃や剣より先に崩れるものは民族の魂だと考えた。政治的独立に先立ち、精神的独立が必要だと信じていたのである。そのため彼は、檀君を単なる建国始祖としてではなく、韓民族精神の象徴として再び位置付けた。国を失った人々に、「私たちは何者なのか」という問いへの答えを取り戻そうとしたのである。
 
大倧教の中心経典は『天符経』『三一神誥』『参佺戒経』である。なかでも『天符経』は全81文字から成る極めて短い経典だ。しかし、その中には宇宙生成の原理、人間存在の意味、自然と生命の秩序が凝縮されているとされる。
成立年代については学界にさまざまな見解が存在するものの、大倧教や民族宗教界では古来伝承されてきた韓民族の精神的遺産として尊重されてきた。
 
その冒頭の一句はよく知られている。
「一始無始一(イルシムシイル)」
 
一は始まりでありながら、同時に始まりなき一でもある――という意味である。宇宙のあらゆる存在は一から生じ、再び一へ帰るという思想が込められている。興味深いことに、これはウパニシャッドが説くブラフマン(Brahman)の思想と通じる部分を持つ。ウパニシャッドもまた、万物は一つの根源から生まれ、最終的にはその根源へと帰ると説いている。
 
『天符経』は続けてこう語る。
「一析三極無尽本(イルソクサムグクムジンボン)」
 
一は三へと分かれ、その三が無限なる万物の根源となる――という意味である。これは桓因(ファニン)、桓雄(ファヌン)、檀君(タングン)へと連なる韓民族の宇宙観とも結びついている。桓因は天の根源的存在を象徴し、桓雄は天の意思を携えて人間世界へ降り立った存在である。そして檀君は天と人間を結び、「弘益人間」の理想国家を築いた人物として描かれる。桓因・桓雄・檀君の物語は単なる神話ではない。その中には、天と自然と人間が一つの秩序の中で結び付いているという韓民族固有の世界観が表現されている。それは、ブラフマンとアートマンの思想が説くように、人間の内にも天の本性が宿るという信念へとつながっている。
 
しかし韓民族の精神文化は、さらに一歩先へ進む。インドの精神文化が個人の悟りや解脱(モークシャ)を重視したのに対し、韓民族の精神文化は共同体と世界への貢献をより重んじてきた。
 
その核心が「弘益人間」である。広く人々を利する。この短い言葉こそ、韓民族精神文化の精髄と言えるだろう。人間は一人で完成する存在ではない。共同体の中で自らの役割を果たし、世の中をより良くするとき、初めて存在の意味を実現する。
 
『三一神誥』は人間の内なる神性を語り、『参佺戒経』は人が守るべき倫理と徳目を説く。そして「弘益人間」は、それらすべての教えが向かう目的を示している。言い換えれば、韓民族の精神文化とは、天を仰ぎながらも現実社会から目を背けない精神なのである。
 
実際、大倧教は日本統治時代の独立運動を支えた精神的支柱の一つとなった。1919年の三・一独立運動では、天道教やキリスト教、仏教が中心的役割を果たしたが、大倧教もまた朝鮮各地や満州地域で独立宣言や抗日運動に積極的に関わった。とりわけ満州・北間島地域の独立軍組織とは密接な関係を築いていた。青山里大捷の英雄として知られる金佐鎮将軍は、大倧教指導者らと連携しながら独立軍の育成と武装闘争を指導した。また洪範図将軍も大倧教勢力と交流し、民族精神を共有していたとされる。独立軍にとって大倧教は単なる宗教ではなかった。それは「私たちは何者なのか」という問いへの答えそのものだった。銃を取って戦う以前に、自分たちが檀君の子孫であり、自由な民族であることを思い起こさせる精神的基盤だったのである。
 
金九もまた独立運動の過程で大倧教関係者と広く交流し、檀君を中心とする民族精神の重要性を高く評価した。民族の魂と歴史精神を重視した彼の思想は、大倧教の精神世界と深い共鳴を見せている。
 
振り返れば、大倧教は単なる宗教ではなかった。それは国を失った時代に民族の魂を守ろうとした精神運動だった。
桓因が象徴する天の根源、桓雄が象徴する天地人の調和、檀君が象徴する弘益人間の理想。それらは独立運動家たちにとって、武器以上の精神的力となったのである。
 
そして今日、私たちは再び大きな文明転換の時代を生きている。AIは人間の知能を模倣しつつある。しかし、人間の良心や愛、責任や自己犠牲までも完全に代替することはできない。だからこそ、『天符経』『三一神誥』『参佺戒経』、そして大倧教の精神は、新たな意味を帯びてよみがえる。それは過去の遺物ではない。未来に向けられた問いである。数千年前、インドの賢者たちがヴェーダを通じて問い続けたことと、韓民族の先人たちが『天符経』を通じて探求したことは、結局のところ同じ問いに行き着く。
 
私たちは何者なのか。
なぜ存在するのか。
そして、人間らしさとは何か。
 
AI時代が深まるほど、人間の魂を見つめる古い知恵はますます重みを増していくだろう。それこそが、今私たちが再び『天符経』を読み、大倧教を見つめ直し、韓民族の「天」の精神を思い起こす理由である。真理と正義、そして自由は、常に技術よりも長く生き続ける。その真理への探究は、数千年前のヴェーダと『天符経』から始まり、今もなお私たちの生の中で続いているのである。

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