2026. 10. 04 (日)

オセウン市長の最終弁論「私の地位を失うことは恐れない」

  • 「オセウン法」を5選市長より名誉あるものと考える告白…「世論調査の依頼も、代納の要請もなかった」

  • 名太均を断ち切れなかったことについて「すべて私の不手際」…23日の控訴審判決で真実の判断を要請

キム・ドゥイル記者
キム・ドゥイル記者

 
「さらに、私のキャンプが負担すべき費用を他の人に代わりに支払うように求めたということは、不必要であるばかりか、あり得ないことです。」
 
10月2日、ソウル高等法院。最終弁論を続けるオセウンソウル市長の声は詰まった。涙は流れなかったが、世論調査の費用代納を求めた事実がないと述べる部分で感情が高ぶった。オ市長を約20年間取材してきた記者にとって、この瞬間は長く記憶に残った。普段感情を表に出さない彼が、何を最も痛く受け止めているのかを想像させる場面だった。
 
ソウル高裁刑事7部(裁判長:ク・フェグン)はこの日、オ市長とカン・チョルウォン前ソウル市政務副市長、事業家キム・ハンジョン氏の政治資金法違反の控訴審結審公判を開いた。ミン・ジュンギ特別検察チームはオ市長に対し、懲役1年6ヶ月と追徴金3300万ウォン、カン前副市長とキム氏にはそれぞれ懲役1年を求刑した。いずれも1審と同じ求刑量である。オ市長側は世論調査の依頼と費用代納の要請を否定し、無罪を主張した。判決は23日に行われる。
 
オ市長はまず、タイトなスケジュールにもかかわらず被告人の意見と主要証拠を慎重に検討してくれた裁判所に感謝の意を表した。続いて、自身の政治的出発点に戻った。お金から自由な政治家、クリーンな政治家になるという信念である。
 
「クリーンな政治を作ろうという私の意志を高く評価して、国民が付けてくれた誇らしいこの名前を、私はソウル市長5選よりも名誉あるものと考えています。」
 
彼が言った名前は『オセウン法』であった。初当選議員時代、政治資金の透明性を高める立法に先頭を切ったことを、彼は自身の政治人生で最も名誉ある成果と考えている。そのため、この法律を『オセウン法』と名付けた。そんな自分が支援者に選挙費用を代わりに支払うように求めたということは、守ってきた信念と両立できず、想像すらできないことであると訴えた。
 
その言葉を聞きながら、記者は2004年の彼の総選挙不出馬宣言を思い出した。オ市長は以前、5・6公の人々の勇退を主張し、自身も既得権を手放す選択をした。他の人にだけ退くように言うことはできないという趣旨であった。政治改革を主張するだけでなく、自身の次の選挙を放棄した経歴であった。当時、オ市長の選挙区は保守の牙城である江南であった。
 
政治家の過去が現在の疑惑を自動的に消し去ることはない。しかし、一人の人間がどのような原則を定め、その原則を守るために何を手放したのかは、行為の動機を考える際に軽視できる点ではない。政治資金の透明性を高めることに先頭を切った彼が、なぜその原則を自ら壊したのか。法廷でその質問に答えるのは具体的な証拠である。記者が最終弁論で感じた重みもまさにこの点にあった。
 
オ市長は特検が示した依頼動機を真っ向から反論した。党内選挙で不利な世論調査結果を見て焦りを感じ、名太均氏に先に連絡したという構図は、選挙を戦う自分の態度と合わないという主張であった。
 
彼は選挙を指揮する者が個別の世論調査に揺らぐと、キャンプ全体が揺らぐと説明した。特に問題の調査が行われたのは出馬宣言後間もない初期であり、情勢がいかに変わるか分からなかったと強調した。不利な調査のために、やっと接触した人に別途調査を依頼したという説明は常識的ではないということであった。
 
名氏に対する自分の態度も説明した。キム・ヨンソン前議員を通じて接触した名氏がキム・ジョンイン当時非常対策委員長の書士を自称したが、自分はすぐに信頼できない人物だと判断したということである。カン前副市長に名氏を任せたのも、関係を整理するかどうかを判断する意味があったと述べた。選挙後には電話など軽いコミュニケーションすらなかったと付け加えた。
 
控訴審で新たに提出された名氏とキム氏の通話も言及した。名氏が自分を原色的に非難し敵視する内容を見れば、当時自分が名氏をどう考え、どのように接していたかを推測できるという主張であった。前回の参観記で見た録音の発言とこの日の最終弁論は、結局同じ争点に集約された。オ市長が実際に世論調査を依頼したのか。費用を他の人に負担させるように求めたのか。
 
「私は、特検が私が依頼したと主張するその世論調査を事前に議論したことも、その結果を受けて私の選挙に活用したことも、断じてありません。」
 
彼は依頼と活用、費用代納の要請をすべて否定した。そして、キャンプが負担する費用を他の人に代わりに支払うように求めたことはあり得ないと続けた。まさにこの部分でオ市長は声を詰まらせ、感情が高ぶった。記者には、自身の政治的信念が疑われることへの深い傷が表れた瞬間に感じられた。
 
続く言葉は、処遇に対する反省であった。名氏に奇妙な感覚を抱いたとき、即座に断ち切れず、接触の余地を与え続けた結果、法廷に立つ姿を見せたということである。公人として優柔不断だった自分の不足が、誹謗の余地を与えたと述べた。
 
「誰も責めることはできません。すべて私の不手際です。申し訳ありません。」
 
疑惑を否定しながらも、国民に心配をかけた責任は自分にあると認めた。この言葉を依頼や代納の認識として読むことはできなかった。彼が認めたのは、名氏との関係を早く断ち切れなかった処遇の不足であった。法廷で争う行為と国民の前で振り返る責任を、彼はそれぞれ自分の言葉で説明した。
 
最終弁論の終わりにオ市長は、自身の地位よりも恐れていることを述べた。

「裁判長、私は自分の地位(ソウル市長)を失うことは恐れていません。」

彼が恐れていると明かしたのは、原則を守ってきた政治家が政治ブローカーの憎悪と敵意によって汚染され、国民を失望させることであった。ソウルの繁栄と市民の生活の質を向上させるという自身の使命が止まることであった。『憎悪』と『操作された状況』は、この事件を見つめるオ市長自身の表現である。裁判所はその訴えを含め、法廷に提出された証拠と証言を判断することになる。
 
記者は、彼が声を詰まらせた瞬間を裁判所が彼の言葉を理解する一つの文脈として共に考えるべきだと考える。それが無罪の証拠だからではない。被告人が最後に自分の言葉で説明する時間には、捜査記録の文だけでは伝えられない人生の重みも含まれているからである。約20年間見守ってきたオセウンの性格とその日の訴えは、記者にとってそのように迫ってきた。
 
「憎悪が真実を打ち負かすことはできず、操作された状況が事実を覆い隠すことはできないということ、そして司法の正義が生きていることを、まさにこの法廷で証明してくださると信じています。」
 
彼は真実に基づいた賢明な判決を切に要請し、言葉を締めくくった。今、答えは裁判所の判断に戻る。23日、法廷は彼が守ってきたと語る原則と、彼が行わなかったと語る行為の間にどのような証拠が置かれているのかを答えることになる。




* この記事はAIによって翻訳されました。
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