2026. 09. 05 (土)

トランプにとっての鄧小平の終戦決断は見えるか

2日現地時間、イランの首都テヘランにドナルド・トランプ米大統領を風刺した宣伝物が掲示されている。写真=ロイター・聯合ニュース
2日(現地時間)、イランの首都テヘランにドナルド・トランプ米大統領を風刺した宣伝物が掲示されている。[写真=ロイター・聯合ニュース]


1979年、中国は同じ共産圏のベトナムに侵攻した。ベトナムを統一した北ベトナム政権が華僑を圧迫し、親中派のカンボジアを侵攻するなど、中国の目に余る行動をとったため、当時の中国最高指導者であった鄧小平は「小さな友達が言うことを聞かない」として軍事行動に出た。

膨大な兵力を前面に出した中国は、当初は容易な勝利を予想していたが、ベトナム北部の険しい山岳地形とベトナム軍・民兵の強い抵抗に苦しんだ。そのため、戦争は約1ヶ月続いた後、中国は戦略的目標を達成したとして突然一方的な撤退を宣言した。

前線でいくつかの成果があったものの、中国人民解放軍の被害は甚大であり、中国内部の派閥争いや文化大革命後の再建が急務な状況で、戦争を継続する余力がないと判断した鄧小平が迅速に終戦を決定したのである。もちろん、中国の最高指導者であった彼は、戦争責任論が提起される中で一部の体面が損なわれることは避けられなかった。

しかし、その後鄧小平は中越戦争を契機に軍の現代化を加速させ、彼が推進していた改革・開放にも拍車をかけ、今日の経済大国中国の基盤を築いた。『黒猫白猫論』で代表される鄧小平の実利主義がよく表れた選択である。

一方、同年同じ共産圏であったソ連はアフガニスタンに侵攻したが、その後10年間戦争の泥沼から抜け出せなかった。結局、これがソ連崩壊の原因の一つとなったことを考慮すると、鄧小平の選択がより際立つ。

米国がイスラエルと共にイランを奇襲攻撃し始めた戦争も、いつの間にか6ヶ月を超えた。しかし、ドナルド・トランプ米大統領はまだ完全な勝利も、確実な休戦も得られていない。そうであるにもかかわらず、鄧小平のように終戦宣言をすることもできていない。

米国は先月から中間選挙を控え、拡大戦を控え、経済制裁に重きを置く方向で対イラン政策を修正した。また、経済制裁がある程度効果を発揮しているとの報道もある。しかし、制裁だけで戦争を終わらせたり、イランの屈服を引き出すには限界がある。すでにロシアや北朝鮮、キューバなどは長期間米国の制裁に耐えており、イランも数十年間米国の制裁を乗り越えてきた。世界第3位の石油埋蔵量を持つ主要産油国であることもイランの強みであり、イランとの核交渉中の米国が突然イスラエルと共に一方的に始めた戦争であるため、名分も薄い。

その間、米国も戦争のコストが積み重なっている。米軍の疲労と資源消耗が蓄積され、先進武器の在庫に対する負担も増大している。戦争による原油価格の上昇は米国の物価を刺激し、最終的には米国及び世界経済の負担となっている。結局、戦争には確実な勝利や休戦、終戦がなければ、参加国すべてに出血を強いる。

トランプの愛読書として知られる『孫子兵法』は、『戦わずして勝つこと』を最善、『戦争を避けられないなら迅速に終わらせること』を次善と見なす。しかし、今の米国はどちらにも該当しない。戦争を避けられず、そうであっても迅速に終わらせることもできていない。

このような状況で必要なのは、イランの降伏を待つだけでなく、米国の目標とそれに必要なコストを冷静に再計算することである。鄧小平は中越戦争で体面を少し失っても、より大きな目標のために退いた結果、世界第2位の経済大国に上り詰めた。ソ連は戦争を終わらせられずに10年を引き延ばし、その結果敗北を迎えた。強大国の力は戦争を始める能力だけではない。いつ戦いを止めるべきかを判断し、必要な時に一歩引く能力にもある。

トランプに今必要なのもまさにその決断である。ただし、トランプから国家や大義のために自らの体面を損なう鄧小平のような決断を見られるかどうかは疑問である。





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