世界的な観光都市の中には、他人が無関心に通り過ぎることができる「石」から都市の価値を見出した場所がある。
トルコのカッパドキアがその代表例である。
火山活動によって形成された凝灰岩層が長い年月の間に雨と風に削られ、奇妙な峰や谷を作り出した。人々は比較的加工しやすい岩石を掘り出し、家や教会、修道院、地下空間を作った。
今日、カッパドキアのゲレメ国立公園と岩の遺跡はユネスコの世界遺産である。
アメリカのニューメキシコ州にあるバンデリエ国立記念物も、凝灰岩を単なる石とは見なさない。先住民たちは火山灰が固まってできた比較的柔らかい凝灰岩をブロックに加工して家を建て、崖を掘り出して生活空間を作った。
数百年が経過した今、その痕跡を見に観光客が訪れる。
では、木浦はどうか。
木浦にも同じ名前の石がある。
「ユダル山凝灰岩」である。
木浦市街のかなりの部分に分布し、ユダル山やカッパ岩など木浦を象徴する場所で出会えるこの石は、これまで観光資源よりもあまりにも一般的な「木浦の石」として扱われてきた。
しかし、視点を変えれば話は変わる。
木浦の自然と建築、開港と近代都市形成の歴史を一つに結びつける新しい観光資源になる可能性があるからである。
□ 清松は凝灰岩を「地質観光」にした
国内でも凝灰岩はもはや地質学の教科書にだけ登場する岩石ではない。
代表的な場所が慶尚北道の清松である。
清松は白亜紀の火山活動によって形成された厚い火山砕屑岩層を含む多様な地質遺産を観光と教育に活用している。
主王山周辺の奇岩や渓谷などは火山活動と浸食作用が作り出した地形で、清松の地質資源はユネスコの世界ジオパークという国際的なブランドにまで成長した。
重要なのは石そのものではない。
石に物語を付け、地質と景観、歴史と住民の生活を結びつけた点である。
木浦が注目すべき点である。
□ 世界的観光都市カッパドキアも出発は火山灰だった
トルコのカッパドキアのゲレメ渓谷周辺には火山活動によって形成された凝灰岩層が広範に発達している。
雨と風の浸食はここに「妖精の煙突」と呼ばれる独特の地形を作り出した。
しかし、自然だけで今日のカッパドキアが作られたわけではない。
人々が岩石を掘り進み、居住空間や教会、修道院などを作ることで自然と人間の歴史が結びついた。
結局、カッパドキア観光の本質は「石を見る」ことではない。
石と共に生きてきた人間の物語を売る観光である。
アメリカのバンデリエも同様である。
ここでの凝灰岩は火山灰が固まってできたもので、比較的柔らかく加工しやすい特性のため、先住民たちは凝灰岩をブロックにして建築材料として使用し、崖を掘り出して空間を作った。
世界はそのように平凡に見えた石を歴史と教育、観光産業に変えた。
□ 木浦にはすでに「凝灰岩建築物」が存在する
木浦でその可能性を示す代表的な建築物が木浦文泰高等学校本館である。
1950年代に建設された文泰高本館には、木浦山頂洞で採石された凝灰岩が使用されたと記録されている。
ここで重要な質問が生じる。
「それなら木浦の他の古い石造建築物にはどのような石が使用されたのか。」
木浦には開港以降に作られた数多くの近代建築物が残っている。
旧日本領事館を活用した木浦近代歴史館1館、旧東洋拓殖株式会社木浦支店を活用した近代歴史館2館など、旧市街には近代都市木浦の歴史を示す建築資産が密集している。
2018年、ユダル洞周辺の11万4038㎡は開港以降に形成された近代都市の歴史性と生活文化的価値が認められ、「木浦近代歴史文化空間」として国家登録文化財となった。
しかし、ここで一つ明確に区別する必要がある。
これらの古い石造建築物がすべて木浦産の凝灰岩で建てられたと現在の段階で断定してはいけないという点である。
むしろ、それが今後やるべきことである。
□ 木浦近代建築物「石のDNA」を探せ
木浦市は地質学者や建築史学者、文化遺産専門家などと共に旧市街の近代建築物や古い石垣に使用された石材を調査する必要がある。
どのような岩石なのか、どこで採石されたのか、木浦に分布するユダル山凝灰岩と同じか類似しているのかを科学的に確認する作業である。
これを仮称「木浦近代建築石材起源伝授調査」として推進してみる価値がある。
調査の結果、文泰高本館のように木浦で採石された凝灰岩で建てられた建築物が追加で発見されれば、木浦観光には全く新しい物語が生まれる。
「木浦の土地から出た石で木浦の人々が都市を作った。」
この一文がユダル山と旧市街をつなぐ。
これまで木浦観光でユダル山と近代歴史文化空間はそれぞれの観光地であった。
しかし「石」を媒介にすれば一つの物語になる。
□ ソン・ヘウォンが見た木浦…「古いもの」の中に隠れた価値
ここで振り返るべき人物がソン・ヘウォン前国会議員である。
ソン前議員を巡る木浦旧市街の不動産問題は当時、投機疑惑など少なからぬ社会的論争を引き起こした。
彼に対する政治的・法的評価とは別に注目すべき点がある。
彼が比較的早い段階から木浦旧市街の近代文化遺産の保存と活用に関心を示していた点である。
2017年、木浦近代文化遺産保存と活用策討論会に参加し、木浦市が国会セミナーで近代文化遺産と都市再生の事例を発表するよう促すなど、木浦旧市街の歴史文化的価値に関心を示した。
当時、人によっては古くて衰退した通りと見なされていた空間で保存と活用の価値を見出そうとしたのである。
その視点を今一段階広げる必要がある。
建物を見たなら、今度はその建物を構成する「石」を見る番である。
100年の建築物の価値を発見することにとどまらず、その建物を構成する材料がどこから来たのか、木浦の自然環境と都市形成にどのような関係があったのかを探っていくことである。
もしかしたら木浦の本当の観光資源は新しい施設を一つ作ることではなく、すでに数十年、数百年、あるいは数千万年その場にあったものの価値を再発見することにあるかもしれない。
□ ユダル山で石を見て旧市街で歴史に出会う
木浦が凝灰岩を観光資源化するなら、単なる地質探訪路を作るにとどまってはならない。
仮称「木浦ストーンロード」または「ユダル山凝灰岩ジオロード」という観光コンテンツを検討することができる。
出発点はユダル山である。
ユダル山で凝灰岩が形成された地質学的歴史を説明し、ノジョクボンと旧市街に降りて木浦の開港史に出会う。
その後、近代歴史文化空間と石造建築物を巡り、カッパ岩に移動して自然が作り出した凝灰岩の景観を観察する。
文泰高本館のように木浦産の凝灰岩が使用されたことが確認された建築物も一つの拠点としてつなぐ。
ここに高河島と周辺の島の地質資源まで調査して含めれば、山と旧市街、海と島を一つの観光動線でつなぐことができる。
観光客は単にユダル山を登って降りるのではない。
「数千万年前の火山活動→凝灰岩形成→自然景観→採石→建築→開港都市木浦→今日の都市」という時間旅行をすることになる。
□ 石一つにも名札を付けよう
方法は大げさである必要はない。
凝灰岩を観察するのに適した場所に小さな案内板を設置し、QRコードを読み取ると岩石の生成年代や特徴、木浦の地質の物語がスマートフォンに表示されるようにすることができる。
旧市街の石造建築物には建築年だけでなく、石材の種類や産地も記載する方法も検討できる。
「この建物の石は木浦山頂洞から来ました。」
この一文が観光客にとっては別の物語となる。
地域で採石した凝灰岩を活用した記念品や教育プログラム、地質解説者プログラムも可能である。
ただし、自然岩石や文化遺産を損なって記念品を製作する方法ではなく、調査・保存を前提とした模型やデザイン商品などでアプローチする必要がある。
□ 「近代文化都市木浦」から「地質文化都市木浦」へ
木浦にはすでにかなりの観光インフラが構築されている。
ユダル山があり、海があり、島がある。
近代歴史文化空間とカッパ岩もある。
問題はそれぞれの観光資源を一つの木浦の物語に結びつける接続点である。
「ユダル山凝灰岩」はその接続点の一つになり得る。
清松が地質と自然景観を世界ジオパークというブランドに成長させ、カッパドキアが凝灰岩地形と人間の歴史を世界的な観光資源に発展させたなら、木浦も自らの地質資源の価値を見つめ直す必要がある。
もちろん木浦をカッパドキアと単純に比較することはできない。地質の形成や規模、景観と歴史的背景が異なるからである。
木浦が追求すべきはカッパドキアの規模ではなく、自らが持つ石から物語を見つけ出す方法である。
そのためにはまず学術調査が必要である。
ユダル山凝灰岩の正確な分布と生成過程、観察地点を体系化し、近代建築物の石材の種類と採石地を伝授調査する必要がある。
これを基にユダル山・旧市街・カッパ岩・高河島をつなぐ地質観光基本計画を立てる必要がある。
観光客が訪れる都市は必ずしも新しいものを作り続ける都市だけではない。
すでに持っているものを他と異なる形で見せる都市も観光都市になる。
木浦の人々があまりにも普通に見てきたために、これまで価値を発見できなかった石。
その石が数千万年の自然史と100年余りの近代都市の歴史、そして今日の観光産業をつなぐ礎となることができる。
今、木浦が問うべき質問は一つである。
「私たちはなぜ今まで足元のユダル山凝灰岩を観光資源として見てこなかったのか。」
その質問から「観光客が訪れる木浦」の新しい物語が始まるかもしれない。
* この記事はAIによって翻訳されました。
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