2026. 08. 29 (土)

ボスニアの虐殺者ラトコ・ムラディチ、84歳で死去

  • ボスニア内戦で10万人以上を虐殺

1993年ボスニア・セルビア系軍司令官ラトコ・ムラディチの生前の姿
1993年ボスニア・セルビア系軍司令官ラトコ・ムラディチの生前の姿

1992年から1995年のボスニア内戦において、ムスリムの村で一度に8000人を虐殺するなど、10万人以上の死者を出したとして終身刑を受けて服役していたラトコ・ムラディチ元ボスニア・セルビア軍司令官が84歳で死去した。

27日(現地時間)に英ガーディアンが報じたところによれば、オランダ・ハーグにある国連の拘置施設に収監されていたムラディチはこの日、亡くなった。ムラディチは集団虐殺の罪で終身刑を宣告された後、ここで服役しており、最近は脳卒中を患い病院に入院していた。国連の国際刑事裁判所残務機関(IRMCT)はこの日、声明を発表し、「ハーグで入院中のムラディチが亡くなった」とし、「グラシエラ・ガティ・サンタナ判事が彼の死因を全面的に調査するよう命じた」と述べた。

AP通信は、ムラディチの息子ダルコ・ムラディチが現在ハーグに向かっていると報じた。息子のダルコは最近、父の健康が悪化していると伝えていた。

ボスニア内戦はユーゴスラビア連邦の解体過程で民族と宗教の対立が激化する中で発生した。「ボスニアの虐殺者」との異名を持つムラディチは、内戦期間中に10万人以上を虐殺した疑いがある。内戦によって難民となった人々は220万人に達するとフランス24が伝えている。当時、彼はボスニア系ムスリムに対して「脳を焼き払え」と部下に命じ、自らを「セルビアの神」と誇示していた。

ムラディチが犯した最悪の犯罪としては、スレブレニツァで8000人を殺害した事件が挙げられる。この他にもボスニアの首都サラエボでは約1万人が虐殺され、その中には1500人の子供が含まれていた。

ニューヨークタイムズなどによれば、彼は1995年に国連の国際ユーゴ戦犯裁判所(ICTY)に起訴されたが、その後16年間逃亡生活を送り、2011年5月26日にセルビアの首都ベオグラード北部の農村で当局に逮捕された。2017年、裁判所はムラディチに終身刑を宣告し、これは2021年に確定した。当時、アルフォンソ・オリエ判事はムラディチの行動について「人類史上最も凶悪な犯罪」と評した。ザイド・ラッド・アルフセイン元国連人権最高代表は2017年の一審終身刑宣告後、「正義が勝利した歴史的瞬間」とし、「悪の化身であるムラディチの処罰は国際社会に正義とは何かを示した」と述べた。

また、ムラディチはスロボダン・ミロシェビッチ元セルビア大統領の庇護を受けていた。彼は軍の駐屯地を訪問し、2000年にはベオグラードで行われた中国とユーゴのサッカーの試合を観戦することもあった。しかし、このような生活も2000年にミロシェビッチが失脚したことで終わりを迎えた。

晩年、ムラディチの弁護士は裁判所に人道的条件での釈放を求める申し立てを行った。弁護団は「ムラディチの治療不可能な末期状態と彼の短い余命を考慮すれば、継続的な拘禁は合法的な目的がなく、非人道的な扱いであり、罰である」と主張した。



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