[AJU VIDEO] 李仲燮(イ・ジュンソプ)、百年の神話・・・代表作である「黄牛」原作、大衆に初めて公開

  • 銀紙画・絵葉書・ドローイング・油絵など200点余り展示

[写真=国立現代美術館 徳壽宮館]



植民地、戦争、分断などで混乱した韓国の近代史を貫通しながらも粘り強く芸術家としての人生を固執した画家イ・ジュンソプ(李仲燮)。日本の植民地時代にも民俗の象徴である「牛」をためらいもなく描いて、限りなく暗い現実を自嘲する絵を残した。

彼は何より自分の感情表現に充実した「正直な画工」になろうとし、韓国の伝統美感が発現された「民族の画家」になることを訴願した。

イ・ジュンソプは日本植民地時代である1916年平安南道平原(ピョンウォン)で生まれ、オサン高等普通学校で、米国エール大学出身の西洋画家イム・ヨンリョンを通じて初めて美術を学んだ。以降、1930年代、日本で最も自由な学風を誇っていた東京の文化学院で本格的な美術授業を受け、日本の前衛グループである自由美術家協会で作家活動を始めた。

1943年、太平洋戦争の影響で帰国し、1945年文化学院後輩だった山本雅子と結婚し、1950年韓国戦争中、釜山と済州島に避難、そこで人生で最も幸せな時間を過ごした。

イ・ジュンソプは韓国戦争中である1952年7月頃、妻と二人の息子を日本に送り、一人残された。その後、彼はあちこち彷徨しながら家族に数多く手紙を送った。最初はいつでもすぐ家族に会えるという思いで楽しく優しい手紙が多かった。特に遠く離れている二人の息子を心配し、絵を添えた愛しい手紙を多く残した。しかし、1955年以降、時代に絶望の中に溶け込みながら手紙をほとんど書かなくなり、妻から来た手紙を読んでさえいなかったと伝えられている。

以降、1956年、40歳で生涯を終えるまで統営(トンヨン)、晋州(チンジュ)、ソウル、大邱(テグ)、倭館(ウェグァン)などを回りながら数多くの作品を残した。末年には家族を再会できないという絶望感の中で、拒食症を伴う精神的な疾患を患って無縁故者で生涯を終えた。

 

[写真=国立現代美術館 徳壽宮館(イ・ジュンソプが妻に送った手紙)]



イ・ジュンソプは西洋画の基礎の上に東洋の美学を実現させた画家だった。

解剖学的理解と厳密なデッサン実力を練磨した基礎の上、韓国固有の美意識を映し出そうとした。書道のような一筆揮之の筆力が油絵の筆跡に現れ、粉青沙器のような重なり合った材料のほのかな効果が作品の表面に出ている。純粋な子供みたいにいたずらのある諧謔があれば、自由で流麗な線彫の美しさで一種の格調が漂っている。

今年はイ・ジュンソプの誕生100周年である。逝去60周年を迎え、国立現代美術館が歴史上初めて彼の個人展を開いている。イ・ジュンソプは「国民作家」として1970年代以降、まさにブームと言えるほどの爆発的な大衆の愛を受けてきた。しかし、一般人や研究者たちが原作を鑑賞する機会はほとんどなかった。今回の「イ・ジュンソプ、百年の神話」展はこれまで散発的に保存されているイ・ジュンソプの原作を最大の限り集めて大衆が鑑賞できる良いチャンスを作った。

イ・ジュンソプの銀紙画3点を所蔵しているニューヨーク現代美術館をはじめ、計60の所蔵先から200点余りの作品、100点余りの資料を貸与して披露してる。「黄牛」、「ヨクチ島風景」、「旅立つ家族」など、彼の代表的な油絵60点余りの作品以外もドローイング、銀紙画、絵葉書、手紙画、遺品及び資料が総網羅された。

 




 
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