2026. 08. 12 (水)

『プリウスの父』オクダ元トヨタ社長死去…享年93歳

  • 創業者一族以外の人物として28年ぶりに社長就任

  • 海外生産拡大でグローバル化…経団連初代会長も

1997年にプリウスの運転席に座っているオクダヒロシ元トヨタ社長の写真[写真=AFP・聯合ニュース]
1997年にプリウスの運転席に座っているオクダヒロシ元トヨタ社長[写真=AFP・聯合ニュース]


世界初の量産型ハイブリッド車(HV)『プリウス』の早期発売を主導し、海外生産を拡大してトヨタ自動車の世界的な飛躍を導いたオクダヒロシ元社長が、8日に老衰で死去したと、朝日新聞など日本のメディアが12日に報じた。享年93歳。

読売新聞によると、オクダ元社長は三重県津市出身で、一橋大学商学部を卒業後、1955年にトヨタ自動車販売に入社した。経理部門で長く勤務した後、フィリピンに派遣された。左遷に近い人事だったが、彼は延滞資金回収交渉などで能力を認められ、これを飛躍の契機とした。創業者一族の豊田章一郎に抜擢され、1982年に取締役に就任した。

日本とアメリカの貿易摩擦に対応するため、トヨタがアメリカ単独進出を決定すると、彼は北米事業準備室に入った。工場用地の選定が彼の役割であり、この時選んだケンタッキー州の工場は後にトヨタの北米の主力生産拠点として成長した。

1995年8月、創業者一族の豊田達郎社長が病気で退任すると、後任社長に就任した。創業者一族以外の人物がトヨタ社長に就任するのは28年ぶりであり、1982年のトヨタ自動車販売とトヨタ自動車工業の合併以降初めてのことだった。彼は就任時に「トヨタが変われば日本が変わるという自負がある」と述べ、大規模な経営改革を予告した。

当時、トヨタは国内販売シェアの低下と海外進出の遅れに苦しんでいた。オクダ元社長は社内の意見調整に過度に多くの時間を費やすトヨタが『大企業病』にかかっていると診断した。彼は「何も変えないことが最も悪い」とし、変化を促した。若年層をターゲットにした販売網を新たに構築し、同世代を狙った小型車『ヴィッツ』を発売した。高級車ブランド『レクサス』も手を加えた。軽自動車を除いた国内シェアが40%台を回復する道がこの時に開かれた。

オクダ元社長は次世代自動車の核心価値として『環境』を掲げた。技術陣が設定したプリウスの発売スケジュールも1年早めるよう指示した。1997年、世界初の量産型HVがこうして誕生した。HVは比較的合理的な価格と高い燃費を前面に出し、現在も販売が増加している。朝日新聞はHVが世界第1位の自動車メーカーであるトヨタの強みを支える源泉となったと伝えた。
 

トヨタ経営改革の人物


オクダ元社長は『三河門ロ主義』と呼ばれるほど閉鎖的だった経営慣行を打破した。三河とはトヨタ本社がある愛知県東部地域を指し、この地域を出ようとしない内向的な文化を指す言葉であった。彼は北米、ヨーロッパ、アジアに次々と工場を設立した。環境技術の開発と株主重視の経営も強化した。日本経済新聞(ニッケイ)は、彼が内向的な企業文化を変え、トヨタが世界最大の自動車メーカーに成長する基盤を築いたと評価した。

トヨタが世界市場で販売を急速に増やす中、オクダ元社長はアメリカの自動車業界が最も警戒する人物となった。日米自動車交渉の際には、彼を狙った盗聴問題が浮上することもあった。

1999年にトヨタ会長に就任し、2006年まで在任する間、彼は財界活動に重きを置いた。同年、日本経営者団体連盟(経団連)会長に就任し、経団連と旧経済団体連合会が統合して2002年に発足した日本経済団体連合会(経団連)の初代会長にも就任した。ロバート・ルービン元アメリカ財務長官やウラジーミル・プーチンロシア大統領と親交を築くほどの海外人脈が、経団連初代会長に就任した背景として挙げられる。『官から民へ』を掲げた小泉純一郎当時の総理とも関係が深かった。政府の経済政策の司令塔である経済財政諮問会議の民間委員を務め、構造改革や社会保障制度の改編など主要政策決定に参加した。彼は会長就任直後から「日本は一周遅れの競争者だ。デフレが依然として深刻なのは構造改革が進展していないからだ」と警告した。

経団連会長在任4年間に出した政策提言は約200件に達した。企業が業績回復を理由に従業員を削減する経営スタイルを批判した。2003年1月に公開した長期ビジョンでは、人口減少を見越して消費税率の引き上げや外国人労働力の受け入れを提案するなど、敏感な問題も避けなかった。ニッケイは、彼が利害関係を調整するだけにとどまっていた経団連会長の地位を、直接声を上げる場に変えたと指摘した。

彼は2008年に日本政府から最高権威の勲章である旭日大綬章を受章した。2012年には日本政策金融公庫から分離・独立した国際協力銀行(JBIC)総裁に就任し、海外進出を目指す日本企業を支援した。2018年にトヨタ相談役を退任し、会社との関係を終えた。葬儀は家族葬で行われる。追悼式の開催については未定である。





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