[イ・ペクスンのコラム] 激変する国際情勢、二分法的アプローチの危険性

[写真・執筆=イ・ベクスン法務法人栗村顧問(元駐ミャンマー・ オーストラリア大使)]


ある外交専門家は最近、韓国の現代史について「独自路線で韓国の運命を自ら開拓できると信じる人たちと、風がどこから吹いてくるのかをよく見定め、その流れに乗るべきだと信じる人たちとの間の葛藤の歴史だ」と主張した。つまり、独自路線や民族路線に従う部類と外勢迎合、同盟路線を主張する部類の間の葛藤が常に存在するということだ。実際、2003年に外交部内にも自主派と同盟派と呼ばれる二つの異なるグループがあり、これらの間には葛藤が存在した。そして、この葛藤によって自主派と同盟派の先鋒に分類された者は、政権交代によって公職社会で激しい対立やを経験したり、甚だしくは退出されたりもした。

ところが、前述の専門家の叙述は表面的な葛藤の様相をよく描写しているかも知れないが、根本的な問題点に対する診断を試みなかった欠陥がある。まず、独自路線であれ同盟路線であれ、それは韓国の国益増進のための方法論であり、それ自体が目的になってはならないのが重要だ。したがって、方法論を基準に専門集団を分類するには語弊があり、専門家なら真の国益が命ずるところは何か、そして周辺情勢が加える圧力によって国益を追求する限界点は何かをよく分別し、韓国の外交政策の方向を設定しなければならない。そして、一度設定された政策方向も周辺環境の変化を綿密に調べ、その実現可能性を点検しながら柔軟に修正していかなければならない。必要ならば自主路線と同盟路線を適切に配合して韓国の政策を作ることもできなければならず、ひとつの路線に無条件に従わなければならないという命題は成立しないわけだ。特に、今のように国際情勢が激変する時期には、過去の視覚に固着した採点表を持って韓国に与えられる問題の解答を見つけることが一層難しくなるだろう。

自主路線であれ、同盟路線はいずれも国益を極大化し、韓国の生存を担保するための政策の2つの軸であり、それ自体が守らなければならない原則ではない。しかも、同盟までも韓国の国益を守るために結んだものであり、韓国の国益に合致する限度内で運用されるべきだ。同盟自体が目的になってはいけない。大英帝国時代のパーマストン英外相が言ったように「国際社会で永遠の友人も持たないし、永遠の敵も持たない」というのがむしろ国際社会のゲームルールであることを認識すべきだ。最近、米国がアフガンから撤収した当時、国際安保軍の一軸だったEU側と事前調整をしなかった。また米・英・豪3国同盟のオーカス(AUKUS)の発足により、オーストラリアとフランス間でこの5年間進められてきた47兆ウォン相当の潜水艦建造計画が、フランス側に事前の通報もなく、水の泡となった事実も注目すべきだ。この事例を見れば、友好国の間でも既存の友好関係を一気に捨て、新しい関係を結ぶことが日常茶飯事になることを予見できる。

自主路線も、それ自体が民族の一員であれば受け入れなければならないのが当然だと思うのも国益のためにならない。自主路線が民族主義の名分論や感傷的な統一論に基づいたものであれ理念に基づいたものであれ、韓国の国益に合致する結果を導き出せなければ、それは幻想に過ぎない。相手から韓国の善意が同じ方式で報われない状況で、自主路線を推し進めていくだけだと、韓国の国益と生存を害することになる。「地獄への道は善意で舗装されている」という先覚者の言葉をかみしめる必要がある。深い信仰心や慈悲心を持つ個人は、相手が悪人であっても彼が変わるまで無限の忍耐を持って善意を行い続けることはできる。しかし、国家はそのような不確実かつ長期的に国益に反する政策に頼り続けることはできない。そうなれば、その国は他国から疎外されるか、相手から逆利用されることになるだろう。安保政策は慎重に扱わなければならず、感傷的な善意で相手をしてはいけない。

韓国が明清交替期や旧韓末の激変期に国難にあったのは、韓国が国際情勢変化の青写真を読むことができず、韓国内の問題だけに没頭していたためだ。今の韓国社会の自主派や同盟派の路線闘争と論争も変わらない。より現実的で実用主義的な外交や安保路線に国民の支持を結集させることが必要な時期である。これこそまさに次の大統領が果たさなければならない最大の責務だ。
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