今年筆者は従来の研究とは少し異なる国際開発協力関連ODA(公的開発援助)研究事業を行っている。援助受恵国だった韓国が開発途上国に援助を提供する国に転換され活動しているが、筆者が勤める現代経済研究院も多様な形態の公的開発援助事業関連研究に参加しているのだ。筆者が参加するODA研究事業テーマはラオス(Lao PDR)輸出企業活性化のために韓国の輸出関連政策を伝授する知識共有プログラム(KSP・Knowledge Sharing Program)だ。知識共有プログラムの中で該当国公務員の韓国招請研修プログラムがある。ラオス商工省の公務員を韓国に招待して輸出関連機関を訪問し、講義と説明会を開催する際、予想外の反応を目撃した。ラオス商工部の公務員たちが最も関心を持っていた韓国の輸出活性化政策が1960~1970年代に韓国政府が推進した「輸出振興拡大会議」だったという点だ。
輸出振興拡大会議は1960年代初めから1980年代半ばまで毎月開催された定期会議だった。ある意味、政府主導の輸出第一政策が現実化する始まりだったと解釈できる。この会議は商工部と外交部主管の下、輸出と関連性のある関連省庁長官はもちろん、民間部門関連協会長まで集まって輸出動向を点検し懸案を議論する席だった。この会議が政策を推進できる決定的な力を持つようになったきっかけは、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1965年から参加して会議を直接主管してからだった。
当時、会議の進行は商工部と外務部が主管して先月の輸出実績を報告した後、建議と討論が続いたという。真っ先に商工部が輸出実績を報告するが、米国、ヨーロッパ、日本など地域別にも報告し、繊維、水産物など品目別にも報告した。その後、それ以前の会議で立てた輸出計画と比較して目標を達成した品目と目標に達していない品目が明らかになり、目標未達品目についてはなぜ輸出実績が良くなかったのかについて議論があった。この過程で民間で提起する輸出市場や該当品目と関連して業界で把握した現実的な問題点が議論されたりもしたという。自由な雰囲気で討論が行われたかは疑問だが、事前に会議内容を準備する過程で民間の声が反映される窓口の役割はしただろう。
例えば、水産物の輸出実績が目標値に達しなかった時、日本へ行く水産物輸出に問題が生じたのか、米国へ行く水産物に問題が生じたのかを点検した。もし日本に行く水産物輸出実績が悪かったとすれば海藻類輸出が問題だったのか、貝類輸出に問題が生じたのかを点検した。そのように政府と民間が皆集まった席で一つ一つ細かく点検した結果、実際的な問題点が発見され解決方法も模索することができた。そのように提示された解決方法を適用して水産物輸出を計画された目標だけ達成できるかをその会議の席で決め、最後に大統領の最後の発言で会議を終えたという。このような過程を毎月開催しているため、政策を担当する公務員としてはどうしても目標達成のために努力しなければならない。その過程で現場に圧力を加えたことはできるだろうが、大統領が出席する月例輸出振興会議が行われる長い間、韓国の輸出目標が満たなかったことは、第1次オイルショックがあった1970年代半ばの1回に過ぎなかった。
報告書で簡単に紹介された月例輸出振興会の内容をここまで詳しく聞くことができたきっかけは、ラオスの公務員が講師に質問し続けたためだ。その会議の主要出席者は誰なのか、どのようなやり方で進められたのか、最高決定権者は誰なのか(長官なのか、大統領なのか)、計画した時点でも目標達成ができなかった時にはどのようなことが発生するのかなど、非常に詳細な質問をした。
彼らの目には韓国の驚くべき経済成長を牽引した輸出活性化政策、その中でも公務員が主導的に動いてすぐ実行に移すことができ、うまく作動すれば効果がすぐに現れそうだったのが大統領主宰の月例輸出振興会議だった。輸出活性化のための多様な政策、例えば輸出政策金融拡大、租税支援、輸出支援機関設立(貿易協会、輸出入銀行など)、輸出補助金制度などのような資金支援や関連機関設立に対して関心を示すものと予想したが、そうではなかった。筆者が考えていた資金支援政策や輸出支援機関の設立より、すべての政府省庁と民間が膝を突き合わせてアイデアを共有する場こそ、すべての政策の始まりだったと判断したのだ。
突然1970年代に重化学工業の育成が中心となり、国全体が輸出に血眼になった時期を召還した理由は何だろうか。当時、押し付けられた政策推進が時間が経つにつれ副作用をもたらしたという点を否認はしないが、輸出増大のための役割は忠実に遂行した。その会議がうまく機能した理由は、政府省庁会議に輸出関連機関はもちろん、民間部門が参加して声を十分に出すことができたためだ。最初は大韓貿易協会、大韓商工会議所などから始まり、その後は産業別協会会長や一般企業の社長などまで参加者の範囲が拡大した。その他にも学界や政治家なども会議に参加するほど輸出育成のために多様なアイディアを集めるために努力した。
韓国経済の先行きが不透明だ。景気低迷の懸念が深まる中、伝統的に強い重化学工業部門で環境保護のため工場稼動に制約が加えられたり、中国技術力が韓国を制圧するなど、 韓国経済に冷たい風が吹いている。以前のように国家指導者の指針に従って一糸乱れず行動する時代ではないが、皆が一緒に韓国経済の将来について真剣に討議し、そのように決定された未来ビジョンを実現するためには力を合わせて具体的な実践方案を用意することが急がれる。
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