「解体20年」、続々と消える「大宇」看板

[写真=聯合ニュース(金宇中(キム・ウジュン)元大宇(デウ)グループ会長)]


解体20年を迎えた大宇(DAEWOO)グループの痕跡が歴史の裏に消えている。解体とともにほかのグループに編入された往年の主力系列会社が相次いで「大宇」ブランドを外しているためだ。

18日午前、POSCO大宇(ポスコデウ)は、仁川市(インチョンシ)延寿区(ヨンスク)のポスコタワーで定期株主総会を開き、ポスコインターナショナルに社名変更を確定した。総合商社としてのアイデンティティを強化する一方、ポスコグループとしての一体感を高めるためであるというのが会社側の説明だ。

ポスコインターナショナルは1967年、大宇実業として創立された後、何度も社名が変わる紆余曲折を得た。 1982年には㈱大宇に変更されたが、2000年、㈱大宇の分割によって貿易部門を担当する大宇インターナショナルとして独立した。しかし、この名前も2010年、ポスコグループへ組み入れられ、ポスコ大宇に変わった。

現代重工業グループが買収手続きを踏んでいる大宇造船海洋も、社名が変更される可能性が高い。ある業界関係者は「大宇造船の場合、B2B(企業間取引)事業を営むだけに、社命が変わっても影響はほとんどないだろう」と見通した。

大宇グループの主軸だった系列会社各社も同様に、すでに看板を取り替えた。韓国GMの場合、GMが2002年、大宇自動車の乗用車部門を買収し、GM大宇という名で発足した。しかし、9年後の2011年、韓国GMと使命を変え、完全に名札を外した。

大宇総合機械がグループの母体である斗山インフラコアも、買収直後の2005年に今の名前に変更された。

一方、依然として大宇のブランドを維持しているところもある。代表的には大宇電子がそうだ。大宇電子は2006年に破産を経験し、2013年には東部(トンブ)グループへ、昨年はDAYOU(デユ)グループに買収されるなど、所属が変わっても大宇という名前をずっと維持してきた。依然としてグローバル市場では大宇が持つブランドパワーがあるためだ。

実際DAYOUグループは、海外輸出の場合、大宇電子だけでなく他の電子系列会社であるDAYOUウィニアまですべて「ウィニア大宇」という名前を使うことにした。海外で長い間営業してきた大宇電子の認知度を反映するための目的だとグループ側は説明している。KDB大宇証券を買収した未来(ミレ)アセット金融グループの未来アセット大宇と大宇建設も相変わらず大宇という名にこだわっている。

大宇グループは1967年、金宇中(キム・ウジュン)元会長が設立した大宇実業から始まった。生地の輸出で開始した職員5人規模の小さな会社は、設立30年余りで財界2位に急成長した。

一時、金元会長の「世界経営」というスローガンによって41の系列会社、396の海外法人を抱えたが、1998年に発生したアジア通貨危機で、翌年、解体された。

大宇グループの前職役員を中心として創立された大宇世界経営研究会は、今月22日、ソウル瑞草区(ソチョク)エルタワー(EL Tower)で、大宇創業52周年行事を開催する予定だ。




 
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