[コラム忠正路] 36年ぶりに無罪となった喜び/ 36년만의 무죄판결에 대한 기쁨

この連載コラムの第一回で書きましたが、私の民青学連事件に関する再審請求公判で、1月27日に無罪が決まりました。日本のマスコミも韓国のマスコミも36年ぶりの無罪として大々的に報道してくれました。私は当初からこの事件は完全なデッチ上げ事件であり、無罪は当然だと信じていましたが、裁判長が「無罪」と宣告した瞬間にはつい涙を流してしまいました。涙は私にとって意外な出来事であり、自分でもびっくりしてしまいました。その後数日間は韓国の友人たちからの祝宴に誘われる毎日でした。日本の朝日新聞や毎日新聞の夕刊では一面で大々的に報道してくれたそうで、36年前の事件を覚えている記者が多いことを意味していると思いました。

当時は73年8月に起きた金大中事件をめぐって日韓関係がギクシャクしていた時期で、その流れのなかで私のような日本人が二人利用されたことは確実だと考えています。判決後、韓国人記者から、「感想を一言?」といわれましたが、感慨無量であり、なかなかその一言がでてきませんでした。しかし、「当時韓国民の民主化に対する熱意に対しては本当に尊敬している。今後は日韓交流のために貢献したい」と述べましたが、この感想は本音です。

その後、当時の学生運動の指導者だった李哲氏(元韓国鉄道公社社長・元国会議員)らと一緒に食事をしましたが、当時の話をすると、時間が過ぎるのを忘れるほどでした。ハンキョレ新聞や東亜日報も大々的に報道してくれました。東亜日報は私と李哲氏が無罪判決を祝って握手している場面を撮影するためにカメラマンを会合先まで派遣してくれたほどです。李哲氏といえば、当時学生たちから「カミソリのようにシャープな李哲先輩」と呼ばれていたとのことです。私もいきなり拘束されてソウル拘置所(現に西大門刑務所跡)にぶちこまれて、国防部の裏にある軍法会議の調査部で偶然会ったときに、「太刀川さん。笑いなさい」と話しかけられたときのことを忘れられません。私がなぜこのように拘束されたのか全く理解できないときでしたが、彼は学生運動の指導者としてすでに笑顔を絶やさず、つまり希望をもって学生たちを韓国の民主化運動を指導していたことがわかります。

彼は国会議員当時、1987年の大統領選挙で野党候補単一化(金大中氏と金泳三氏)に失敗したことに対して、金大中氏に非常に失望していたことを思い出しました。当時、金大中氏が金泳三氏に譲歩していれば、金泳三氏が当選して、民主化政権が誕生していたはずだと話していました。候補単一化に失敗したためにロテウ政権が誕生しました。本当の民主化政権の誕生が遅れたのは金大中氏のためだという人も多いようです。しかし87年当時は米国の立場はすでにロテウを選択していたから候補単一化しても二人の金氏とも当選は無理だったという見方もあります。しかしこれは結果論であり、真相はわかりません。

歴史の真相といえば、現在の日本の政局についてもいえます。現在日本の政治は鳩山首相と小沢幹事長の政治と金の問題に関して野党・自民党や世論からの追及に集中しています。特に小沢幹事長に関しては秘書である現国会議員が逮捕・起訴されたこともあり、小沢幹事長の辞任論が大きく囁かれています。これに対して小沢幹事長サイドは辞任の意思はないと表明していますが、今後の政局の動き次第ではどのような方向にすすむかヒ予断は許しません。民主党支持者のなかには「政権交代は民主党革命である。自民党や保守的な新聞・マスコミの小沢批判はいわば反革命的な動きであり、断固として戦っていかなければならない。幸いにも世論はまだ民主党を見放してはいない」と語っています。しかし日本の政局からは一瞬も目を離すことができません。

太刀川正樹‐日刊現代記者‐亜洲経済編集委員 mike@tkk.att.ne.jp

<亜洲日報の記事等を無断で複製、公衆送信 、翻案、配布することは禁じられています。>
기사 이미지 확대 보기
경북 포항시 경북 포항시
닫기