日本から戻された四溟大師の直筆遺墨、4日から大衆に公開

写真=聯合ニュース
[写真=聯合ニュース]

これまで日本の京都の興聖寺に残していた四溟大師(1544~1610)の直筆遺墨が4日から大衆に公開される。

月精寺聖宝博物館は3日、「ある篤志家の寄贈で、四溟大師の遺墨を所蔵することになった」と伝えた。

遺墨は横30㎝、縦120㎝程度の大きさで、縦方向に長く表具された紙の中央に「仏心宗祖達磨円覚大師」と記されている。

聖宝博物館は、仏心宗は禅宗を、祖は祖師を指し、円覚大師は唐の大宗が達磨大師に捧げた追尊の諡号を意味すると解釈した。

博物館側は「『萬曆乙巳春以普濟南遊日本以是求楷寫不得辭敢以書之』と記載したものは、1605年春、広く衆生を制度するために南日本に来ていた時、楷書で書いてほしいと言われて断り切れず、あえて書く」という趣旨で文を書いた経緯を説明したものと解釈した。

また左側に『徑山三十七代孫泗溟沙門松雲云云』と書かれているものは、赤い印とともに落款に当たると説明した。

聖宝博物館は「四溟大師が1605年の壬辰倭乱(文禄·・長の役)直後、京都に行った際、日本の僧侶に書いた文と推定される」と付け加えた。

博物館の関係者は、「専門家らの意見をもとに、同作品を四溟大師の直筆だと判断しているが、まだ国家機関などや公的な委員会の判断を受けている状態ではなく、今後、国家文化遺産登録を申請し、必要な手続きを踏もうとしている」と明らかにした。
 
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