最近、昼下がりに多くの市民が行き交う大型商業施設で、両手に刃物を縛り付けた男がエスカレーターを上り下りしながら無差別に刃物を振り回す惨劇が発生した。去る13日に発生した「仁川ホームプラス九月店刃物襲撃事件」である。さらに衝撃的なのは、容疑者Aが殺人未遂の前科で服役した後、電子足輪を装着した保護観察対象者だったという事実だ。彼は犯行当日の昼、保護観察官との面談を終えた直後に猛然と犯行に及んだにもかかわらず、治安当局はその危険な兆候を事前に全く察知できなかった。
国民の怒りを買った悲劇はこれだけではない。「済州4歳娘の死亡事件」は、公権力の無能がいかに残酷な結果を招くかを示す痛切な例である。母親が元夫との親権争いの中で何度も警察に危険を知らせ、身分の保護を訴えたにもかかわらず、現場の警察は安易な態度で一貫し、ゴールデンタイムを丸ごと逃してしまった。結局、子どもは父親に連れ去られて遺体で発見された。国民が声を枯らして助けてほしいと叫んだにもかかわらず、公権力はただ傍観し、尊い命を死地に追いやった。
2022年に帰宅途中に見知らぬ男から背後から蹴り倒されるなどの暴行を受けた「釜山回し蹴り事件」が残した傷痕もいまだに癒えていない。無差別暴行で重刑を宣告されて服役中の加害者は、刑務所の中でも被害者に向けて「出所したら復讐してやる」などと報復を匂わせる脅迫的な言動を繰り返し、懲役刑が追加で言い渡された。しかし、法廷に立った加害者は反省するどころか言い訳に終始し、被害者は依然として日常を奪われたまま恐怖の中で苦しんでいる。犯罪者は制度の抜け穴を巧妙に突くが、法の保護網は加害者の人権の後ろに隠れて被害者を二度泣かせている。
こうした凄惨な連続事件の根底には何が潜んでいるのか。最も深刻な問題は「補完捜査の消失」による捜査の空白と、被害者の人権の死角に追いやられることである。
かつては、警察が一次捜査した事件を法律の専門家である検察が綿密に検討し、不十分な点を鋭く突き詰める二重の統制装置が機能していた。ボイスフィッシング詐欺(特殊詐欺)や知能型詐欺、組織犯罪のように入り組んだ事件ほど、検察段階における深みのある補完捜査は真実を解明し、被害を救済する最後の砦であった。
実際、面識のない女子高校生を拉致・殺害して社会に大きな衝撃を与えた、いわゆる「チャン・ユンギ事件」を見てもそうだ。この事件は当初、警察の段階では単なる殺人容疑として送検されたが、検察の執拗な補完捜査の過程で、性的暴行目的の拉致など隠された余罪と実体的真実が明確に明るみに出た。もしこのように絡み合った真実を暴く二重の検証装置が無力化されれば、凶悪犯たちの余罪はそのまま闇に葬られ、被害者の無念が晴らされることはないだろう。
しかし、検察の捜査・補完捜査機能が大幅に縮小・再編され、すべての負担が警察に偏った現在、果たして現場で過去のような踏み込んだ補完捜査が可能だろうか。膨大な民生事件に追われて喘ぐ警察が捜査のゴールデンタイムを逃したり、ずさんな捜査に終始したりしても、これを鋭く見極めて正す牽制装置は急速に薄れてしまった。
さらに、相互牽制と統制システムが崩れ去った場所には、もう一つの巨大な影が落ちる。すべての捜査権限が特定の機関に過度に集中することで、現場の警察内部で万が一発生し得るずさんな対応や不正を自ら正す、客観的な自浄能力を失いかねないという懸念である。済州事件のように、公権力の安易さと職務怠慢が招いた惨事の中でも、これを厳正に暴いて責任を問う実効性のある相互牽制網が機能しなければ、今後、警察の過失や不正は永遠にベールに包まれたまま明るみに出ないという指摘は決して杞憂ではない。
こうしたことから、社会のあちこちでは「犯罪や危機的状況に直面しても、国や警察は自分を守ってくれるのだろうか」という深い不安とともに、法の保護を期待するよりも自らを守らなければならないという「自己責任(自力救済)」の雰囲気が色濃く漂っている。国が国民の最低限の安全すら担保できないという不信感が蔓延するとき、その共同体は急速に瓦解せざるを得ない。
「改革」という美名のもとで断行された拙速な司法体系の改編は、捜査機関間の責任転嫁と官僚的な怠惰という巨大な治安の空白を生んだ。法執行機関が政治的外風や組織利己主義に揺らぐとき、「自分を守ってくれる国と法はない」という無力感は、社会全体のモラルハザードと不信を煽るだけである。
真の司法改革とは、政治的修辞や特定集団の権力再編のための道具であってはならない。それはあくまで「犯罪からの安全」と「被害者の権利救済」という本来の目的に忠実でなければならない。今からでも政治権力と司法当局は、壮大な議論や不毛な争いを止め、崩壊した補完捜査体系を立て直し、相互牽制と責任の網をしっかりと張り巡らさなければならない。法が沈黙する社会に正義はなく、正義が不在の場所に残るのは暴力と不信だけである。「被害者のいない国」という汚名を返上するための冷静な反省と、司法システムの抜本的な立て直しが急務である。
