[日文] 未来サムスン「経営承継」への道のり / 이혼 아픔 딛고 글로벌 현장으로

昨年2月、サムスン家は勿論のこと、韓国国内を騒がした。サムスンの皇太子、 李在鎔(イ・ジェヨン)副社長と大象グループの林昌郁(イム・チャンウク)名誉会長の林(イム)セリョン氏との結婚生活にピリオドを打ったのだ。

李副社長は1997年日本でMBAを終え、米国留学に至る直前に延世大学経営学科に在学中のイム氏と出会った。彼らの出会いは両家の母親の仲立ちによるものだと伝えられている。1年余の交際を経て、李副社長は1998年6月に結婚した。

彼らの結婚は大きな話題になった。慶尚南北道を基盤とした財閥と全羅道の家柄が出会ったからだ。それだけでなく、両家は過去ライバル関係にあった。李副社長の祖父である李秉喆(イ・ビョンチョル)先代会長は生前に「この世の中で思うがままにならない物が3つある、それは知識とゴルフ、そしてミウォン(大象の代表調味料)だ」と言うほどだった。

林氏は、離婚訴訟を通し10億ウォンの慰謝料と5000億ウォン相当の財産分割を請求したされている。また、子ども達の養育権も請求した。その後、両者は合意を通した離婚訴訟で事を終えた。具体的な条件は明かされていないが、経営承継の準備中の李副社長は大きな打撃をこうむった。財産分割を通じ、安定的な経営権の移譲のための資金も相当部分失うことになった。

海外活動にも支障をきたした。アップルなどの主要取引先とのミーティングのために米国出張中であった李副社長は日程を急遽変更した。李副社長は米国の主要通信社のAT&Tが主催する「ペブル・ビーチ・ナショナル・プロ-アマ大会」出場を断念。この大会はプロゴルファーと著名人がチームを組み、臨むゴルフ大会だ。特に、李副社長はプロゴルファー崔京周と組む予定だった。

離婚訴訟の一日後の13日の午後には父の李健熙(イ・ゴンヒ)会長がソウルの逸院洞のサムスン医療院に入院した。サムスン側は、健康検診による内院だと説明した。しかし、離婚によるショックで入院した可能性が高い。李会長は昨年11月、先親の故イ・ビョンチョル先代会長の21周忌追悼式にも参加できないほど、健康が優れなかった。一人息子の離婚訴訟が健康を悪化させたと言う噂が広まった。
 
2008年、金勇澈(キム・ヨンチョル)前サムスン法務チーム長の秘資金の暴露に続き、離婚による李副社長は大きな負担を負うことになった。

秘資金の暴露以後、李副社長はサムスン内の全ての職分を投げ打って、海外の取引先関係に力を注いだ。海外市場の開拓などを通し、経営能力を認めてもらうためだった。また、これを通して李副社長のイメージを改善できた。しかし、林氏との離婚は1年近く続き、李副社長の活動に影を落とした。

世間では、離婚の理由と慰謝料の金額をめぐって、様々な憶測が出回った。この中で、相当数は李副社長の道徳性に対するものだった。キム・ヨンチョル波紋以前から経営権の承継作業に対する市民団体の批判と経営能力が検証されていないと言う懸念があった。それに加え、噂が飛び交うことで、李副社長の経営承継はさらに時間が掛かりそうだ。

叔母も父、李会長に対し「自分の家族も管理できないのにサムスンと言う巨大組織をどのやって率いるのだろうか」とし、李副社長を強く叱責したとされている。

子どもに関する問題も表面化した。子どもに対する親権は、李副社長にあるが養育権は林氏と共に持つことで合意したと伝えられている。李副社長の子どもに愛情は他ならぬものがある。

忙しい業務と海外出張の合間にも、李副社長は時間を割いて子どもとの時間を持っている。実際に離婚後の昨年4月、李副社長は長男とバスケットボールを観戦するなど、情を分かち合った。数日後には、キム・ヨナのアイススケートショーに娘と共に参加したと伝えられている。

この様な、痛みの中で李副社長は、活発的に持続的なグローバル経営を行った。昨年、2月に出国した李副社長は離婚訴訟が進行したことで、日程は調整されたが、李副社長は海外勤務の駐屯地の中国上海を基点に欧州と日本を回り、海外の取引先との関係維持に全力を注いだ。

その後も、世界を縦断し、昨年3月17日に帰国した。その後、まもなく李副社長は台湾を訪問し、半導体とLCDの主要取引先とのミーティングを行った。

離婚後も活発な活動を見せている。昨年、9月からは、それまで距離を置いてきたメディアとの会談をもった。李副社長は4日、カナダのカルガリーで開かれた国際技能オリンピックの主要種目を見て周り、「企業の力は現場と技能人の力」だと強調した。また、「運良く、良い両親と出会い立派な先輩達と出会うなど、恩恵を受けている」とし、個人的な考えを示した。

カルガリーの次の目的地は欧州最大の家電展示会「IFA」だった。カルガリーから独のベルリンに機首回した李副社長は直接、展示場を回り、主要経営陣と会議を行った。記者会談の席では、海外投資と欧州市場、経営実績に対する考えを遠慮なしに明かした。

離婚後、初めて一般に公開される席で、逆に自身の考えを正確に伝えたのだ。それまでに海外を回り積み上げた自信と人脈、経験を元にしたものだ。その後、李副社長は定期人事を通じ、最高運営責任者(COO)と言う職責を担った。秘資金問題で全てを投げ打ってから1年半ぶりにさらに重要な職責に担うことになった。

そして、1月米国で開かれた家電展示会「CES」ではサムスン電子ブースを訪れる方々を直接迎えるホスト役を務めた。離婚を始め、身の回りの甲論乙駁(こうろんおつばく)の中で李副社長は逆に一段階成長した姿を見せた。

特に、李副社長は新興市場の開拓と新事業推進など、新たな成長の可能性を模索する役割を担っている。この様な部分でサムスンと国民の期待に答えてこそ、李副社長は世間の批判の声を終息させ、未来サムスンを率いるリーダーとして認められるだろう。

亜洲経済= 金在桓 記者 kriki@ajnews.co.kr
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